本来の意味を履き違えてしまう翻訳
翻訳家や翻訳会社は、翻訳する際に直訳をするだけでは駄目で、時には比喩表現を使ったり、表現方法を変えたり、文章に味付けをして、翻訳しなければいけませんが、その時に、本来の意味が違ってしまう様な表現は避けた方が良いでしょう。
私が、以前見た事のある翻訳で、「父は愛情の裏返しだろうか、私の事を激しく叱り暴力を奮ってきた」と言った文章があり、これを翻訳会社が、「父は私を激しく叱り、愛のムチとばかり手を上げてきた」と翻訳してしまった文章がありましたが、作者は、わざと「愛情の裏返し、暴力」と言う表現を使い、父が感情に任せて行動している事を表現しているのに、「愛のムチ」と翻訳してしまっては、父が、冷静に体罰を与えている様に感じてしまいます。
この翻訳者は作者の意図を読み違えてしまったのか、わざと感動出来る話しに置き換えてしまったのかは分かりませんが、これでは、作者にも失礼ですし、作者の作品を楽しみにしている読者に対しても失礼なことではないでしょうか。
例えが違うかもしれませんが、あるテレビ局で、24時間にわたり感動させようとする番組があり、それに対抗させる形で、26時間にわたり笑わせ続けると言った方式をとったテレビ局があったのですが、ここ数年は、ある男性タレントが司会を努めて様になってから、番組の内容が以前は異なり、感動させようと頑張っているのが眼につくようになりました。
前者の24時間番組は本来の趣旨が、感動させて募金を集める様な趣旨だったのですが、後者の番組は当初の趣旨とは違う事をしているので、本末転倒な事をしている様に感じます。
この様に、本来の意図している事を曲げてしまうと、ろくな事にならないので、翻訳家や翻訳会社は、本来の意味を曲げて翻訳してしまっては良くないと言えるのではないでしょうか。
難解な言葉を多用しない
文章を書く人間などは、語彙が豊富な場合があるので、簡潔に言える様な単語を、つい難解な言葉を使いがちです。
これは、翻訳家や翻訳会社などでも、良く見られる事で、低年齢層が見る様な本にも関わらず、その世代が理解出来ないであろう、文章を多用しているのを見た事があります。
例えば、「その難解な言語は、稚拙な著者には理解する事が出来なかった」などと書かずに、「その難しい言葉は、未熟な私には分からなかった」でも十分通じますので、翻訳する媒体を使う年齢層に合わせた様な翻訳をしなければいけませんし、それでもあえて使っている様な翻訳家であるならば、これは言ってしまえば、翻訳家の独りよがりと言っても良いかもしれません。